戦争は女の顔をしていない

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによる「戦争は女の顔をしていない」を読んだ。2015年にノーベル賞を受賞したこの本は、第二次世界大戦中の独ソ戦に赴いた従軍女性500人以上にアレクシエーヴィチがインタビューをし、生きた証言を本にまとめたものである。当時、100万人を超える女性が看護師や医師、後方部隊としてだけではなく、武器を持って前線で戦っていたという。戦場にいた女性たちは大体15歳から30歳。高射砲兵、飛行士、機関士、修理工、狙撃兵、通信係など様々な部隊で戦いに必要な術を覚えたもの、パルチザン部隊へ参加したものや、時に自身の子どもと共に抵抗運動を行った地下活動家、その他にも洗濯係、料理係などがいた。
アレクシエーヴィチが元従軍女性に取材を始めたのが1978年、83年に書き終えたが、完成して2年は出版されなかった。それだけこの本が語ろうとしている、戦争に勝利したという表面的な事実の裏側にある人間的なものを歴史の一部として語られることへの拒絶が存在していたことが伺える。「戦争は女の顔をしていない」というタイトルは、単に戦争は女のものではない、女が武器を持って行くべきものではない、ということを意味しているだけでなく、戦後、従軍していたことを理由に差別を受け、通常の環境に馴染むことが困難であった従軍女性たちが長く口を閉ざし、その境遇を伝えることが不可能であったことも意味している。そのことがよく分かるインタビューの一部をここに抜粋したい。

私たちは18歳から20歳で前線に出て行って、家に戻ったときは22歳から24歳。初めは喜び、そのあとは恐ろしいことになった。軍隊以外の社会で何ができるっていうの?平和な日常への不安…同級生たちは大学を終えていた。私たちの時間はどこへ消えてしまったんだろう?何の技術もないし、何の専門もない。知っているのは戦争だけ、できるのは戦争だけ。
 戦争とは早く縁を切りたかった。軍外套を普通の外套に縫い直し、ボタンを付け替えた。使っていた軍靴は市場で売ってパンプスを買った。初めてワンピースを着た時には涙にくれたものよ。鏡を見ても自分だと思えなかった。四年間というものズボンしかはいていなかったからね。負傷したことは誰にも言えなかった。そんなことを言ったら、誰が仕事に採用してくれる?結婚してくれる?私たちは固く口をつぐんでいた。
《本文182ページ、ワレンチーナ・パーヴロヴナ・チュダーエワ 軍曹(高射砲指揮官)のインタビューより。》

この本を読んでいて、エレム・クリモフ監督の映画『炎628』(原題:『Come and See』)を思い出した。邦題にある628とは、白ロシア(ベラルーシ)でドイツ軍によって占領され焼き払われた村の数である。民衆が戦った戦争、自分の家族を犠牲にする覚悟が必要であった、普通の戦争よりもっと残虐な戦争として、この本の中でもインタビューが扱われている。

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戦争は女の顔をしていない-岩波現代文庫-スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ