第二次世界大戦前に海外渡航した日本人についてのリサーチ①

私はいわゆる「からゆきさん」とよばれる、明治から大正にかけて出稼ぎや移住を目的に海外渡航した日本人移民-時として売春を行わなければならなかった女性も多数含む-について調べ、また彼らがいかにインドネシアにおける第二次世界大戦前の日本人コミュニティ形成を導いたのかを映像作品にすることで、近代を通して現代まで影響しうる日本におけるジェンダー観や、日本人女性の国内外でのイメージについて考察するきっかけを模索している。これまで森崎和江や山崎朋子など、日本人作家のルポルタージュと明治期の新聞(日本やインドネシアで発行されていたもの)などを中心としたリサーチに加え、自身で映像撮影を行うほか、映像に用いるためのアーカイブ資料を過去の新聞や様々な機関のオンラインアーカイブから見つけてきた。

私がこれらのリサーチを始めるに至ったのは、インドネシア近代文学の最高峰とも言える作家プラムディヤ・アナンタ・トゥールの歴史小説『人間の大地』(1980年)と『すべての民族の子』(1980年)を読み、その中で日本という国について、また、スラバヤ(インドネシア)の日本人移民に関する記述を見つけたからである。プリブミ(原住民)だがヨーロッパ式教育を受けた小説の主人公、ミンケは民族覚醒に目覚めていく過程で、自国とアジア諸国、そしてヨーロッパとの関係を比較していく。ミンケを通して見る日本は私にとって新鮮であったし、私は自分の国について何も知らなかったのだと改めて思った。そしてまた単純に、物語に書かれていない部分をさらに知りたくなって関連のある場所を訪れ始め、調査を通して辿る歴史から見えた何かを映像に反映させ、自身とどうつながり得るのか探ることにしたのである。

まずはジャカルタにあるインドネシア国立図書館にて1920-37年まで発行されていた「爪哇(ジャワ)日報」を読み始め(読むといっても昔の日本語は理解に時間がかかるので主に日本人移民に関する記事を目視で探している…)、時間を見つけてスラバヤやシンガポール、クアラルンプールの元花街や日本人墓地を訪れつつ、アーカイブ資料を探していた。1年ほどそうしていたのだが、テルモ生命科学芸術財団から調査のために現代美術助成を貰ったこともあり、またしばらく東南アジアに行った日本人移民に関する日本国内外の場所をさらに訪れ、昔の新聞を読み、最近のからゆきさん研究に関する本なども読むことにした。そうした調査旅行で見聞きしたものや発見したものをつらつらと書いていきたい。

シンガポールの日本人墓地:名前の無い小さな墓石はからゆきさんのものとされている。