第二次世界大戦前に海外渡航した日本人についてのリサーチ⑥:天草⑴

天草の女性史研究家の方とお話するために、天草に一泊することにした。長崎県から熊本県に渡るため、口之津港からフェリーに乗って、鬼池港まで30分ほど。車も積載でき、船内も広くて綺麗な大きな船だ。私みたいにバスを乗り継いで移動する人はあまりおらず、車で港まで来てフェリーに車を載せ、また降りたら車で移動していた。普段、東京で電車と徒歩、自転車の生活をしている私には船で移動というだけでわくわくしてしまう。窓からだんだんと山々がそびえ立つ島が見えてきて、ここから少女たちが旅立って行ったのだと思う。フェリーから降りて、町に行くバスについて尋ねたら、ちょうど出発するところだという。次のバスは一時間以上後になるので、港の窓口スタッフが走ってバスの出発を止めてくれた。30分くらい揺られていたが、乗客はそれほど多くなく、お年寄りが多いように感じた。その日は特にすることが無かったので、少し散歩でもしようと旅館に荷物を置いてからルルドの聖母を見に行った。大江天主堂にあるルルドの聖母とはまた別のもので、カトリック幼稚園の敷地内にある。私は特に熱心な信者ではないが、キリスト教徒なのでたまにこういう場所に行ってみようかなと思うのである。そういえば口之津で、キリシタン弾圧により島原地域には信者がほとんどいないが、天草地域では弾圧の歴史がありながらも今でもキリスト教文化が残っているという話を聞いた。ルルドの聖母の前に佇んでいると、幼稚園から中年の女性が出てきて、どこから来たのかと話しかけてくれ、観光なら殉教公園まで歩いていけるから行ってみるといいと教えてくれた。公園は丘陵の上にあって、南国風の木を見ながら丘の上までぐるぐると登っていくと、殉教戦千人塚が現れる。資料館などもあるようだが、もう間に合わない時間だった。苔に覆われた塚と十字架、灯籠、南国風の木。天草・島原の戦いがある前には違う武将たちの戦いがあり、300人の婦人も武装、参戦して亡くなったという。色々な文化が混ざったようなその不思議な空間は地元の人には公園として親しまれているようで、犬の散歩をしている女性や散策をする親子がいた。