インドネシアの先駆的フェミニスト カルティニ

先日、横浜美術館にて開催されている展覧会『BODY / PLAY / POLITICS』の関連イベントであるシンポジウム「波紋-日本、マレーシア、インドネシア美術の20世紀」を見に行った。そのうちのセッションの一つ「1950年代以降のマレーシア、インドネシアにおけるフェミニズム運動-アーティストの視点から」では同展示出品作家でもあるマレーシア人の女性アーティストYee i-lann(イー・イラン)氏がインドネシアにおけるフェミニズム運動についてプレゼンテーションを行った。同氏は東南アジアの民間伝承による女性の幽霊を現代女性とつなげた映像インスタレーションを同展覧会にて展示している。

Yee i-lann氏は、インドネシアでは従来農業を通して女性の伝統的な役割があったこと、それがオランダ統治時代にプランテーションが導入されmonocropping(単一栽培)になったことで彼女たちの役割が変わってしまったことをまず説明し、その後で具体的な女性運動家の例を挙げ、1965年に起きたクーデター、9月30日事件の際に排除されたゲルワニの活動に話をつなげていった。これらの詳細を述べるのは省くが、Yee i-lann氏も話に触れていたインドネシアの代表的な女性運動家といえば、オランダ統治時代にプリプミ(原住民)の中で最も高い役職であったブパティの娘カルティニ(1878〜1904)である。

カルティニは女子教育向上を願い、この時代に一夫多妻制にも批判的視点を持つ進歩的な女性であった。(ちなみに現在のインドネシアにおいて、法律で一夫多妻制は可とされているが世間的に実行する人はほとんどいない。)オランダ、インド(混血児)、また特権階級のプリブミのみが入学を許されたヨーロッパ人小学校で西洋式教育を受け、オランダ語も堪能だったカルティニだが、年頃になるとジャワの慣習に従い外出禁止となり結婚まで家に籠ることとなる。しかし家庭教師のオランダ人女性が大変なフェミニストであったために、女性の教育・権利向上への思想を深めたという。彼女は若くして亡くなってしまったが、その精神は妹たちに受け継がれ、プリブミ女子のためのカルティニ学校は1907年にバタヴィア(現ジャカルタ)にて開設、その後マラン、チルボン、スマラン、ボゴール、スラバヤにも建設された。

穏健派イスラム教徒が多数といわれる現代のインドネシアでは、農村部は別として都市部の中流階級以上において女性の社会における地位というものは活発な印象を受ける。仕事場と家庭内で差はあるのかもしれない。しかし2015年にWorld Economic Forumが出したGlobal Gender Gap Reportのランキングにおいてインドネシアは92位、日本は101位だ。ちなみに他のアジア圏の国では、フィリピン7位、シンガポール54位、タイ60位、バングラディシュ64位、ベトナム83位、中国91位、インド、カンボジアが108・9位と続き、イスラム圏のマレーシアが111位、韓国115位となっている。

このランキングは女性が政治家や管理職の地位に就いているか、などが指針となるのだが、特に日本と韓国は先進国とされ、また他アジア圏へのODAや助成金制度も湯水のように行っているのになぜこんなに低いランクなのだろうか。何か腑に落ちず、自分たちの意識に変化が必要なのではと思う日々である。

Gender Gap Ranking
http://reports.weforum.org/global-gender-gap-report-2015/rankings/