Mei Hommaさんの教育リポート

ジャカルタの港にて

私はその船底に積まれているセメントの袋を見て、からゆきさんたちが船底に押し込まれて命も絶え絶えに密航したことを思い出し、セメント袋を撮り、他にも船の風景を色々と撮影した。ガイド料は少し多めに払って、それでも二人で乗船して500円くらいだったので、おじさんは1日に何組くらいガイドするんだろう…と思いながら別れを告げた。

亀山トリエンナーレ(三重県)にて映像インスタレーション展示をしました

2017年9月24日〜10月15日に開催された亀山トリエンナーレ(三重県)にて映像インスタレーション展示をしました 。

『マイコの国に関する私のノート -Catatanku tentang negeri Maiko-』
『トコ・ジュパンを探して』
映像・8ミリフィルム映像(デジタルデータ)・アーカイブ資料
助成 公益財団法人テルモ生命科学芸術財団

第二次世界大戦前に海外渡航した日本人についてのリサーチ⑧:長崎市内

長崎にはかつて女人禁制の出島に出入りを許されていた遊女たちがおり、彼女たちは丸山遊郭から通っていた。また、悟真寺の裏に稲佐遊郭という別の遊郭も存在した。この稲佐遊郭は元々、稲佐郷にあり露西亜マタロス休息所と呼ばれていた。露西亜マタロス休息所はその名の通りロシア人が通うための遊郭である。1860年に英仏の艦隊に敗れ、長い航海をしてきたロシア軍艦ポスサヂニクが長崎港に入港し、マタロス(水夫)たちはしばらく長崎に滞在することになった。彼らは当初、丸山遊郭に登楼する予定であったが、梅毒を恐れ、ロシア人軍医による検梅を要求した。日本にはまだ検梅の習慣がなく、遊郭としてもそれなりに権威を持っていた丸山遊郭はこれを拒否し、稲佐郷にその代わりとなるものを作るべく長崎や近隣の村からまずしい娘を集め、検梅も受けさせた。稲佐遊郭となってからはロシア人以外の客もいたようだ。

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