第二次世界大戦前に海外渡航した日本人についてのリサーチ⑥:天草⑴
天草の女性史研究家の方とお話するために、天草に一泊することにした。長崎県から熊本県に渡るため、口之津港からフェリーに乗って、鬼池港まで30分ほど。車も積載でき、船内も広くて綺麗な大きな船だ。私みたいにバスを乗り継いで移動する人はあまりおらず、車で港まで来てフェリーに車を載せ、また降りたら車で移動していた。普段、東京で電車と徒歩、自転車の生活をしている私には船で移動というだけでわくわくしてしまう。窓からだんだんと山々がそびえ立つ島が見えてきて、ここから少女たちが旅立って行ったのだと思う。
第二次世界大戦前に海外渡航した日本人についてのリサーチ⑦:天草⑵
私はこの旅行で初めて、女性の研究家、大久保美喜子さんと天草で話すことができた。性別によってどう変わるというわけでもないかもしれないが、彼女の研究だけでなく、その活動は尊敬すべきものがあったし、とても親近感を持つことができた。大久保さんは独自でからゆきさんについて調べながら、東南アジアからアフリカまで、からゆきさんに関する土地・日本人墓地を訪れ、文章を書き、絵本を作り、天草で別の仕事もしている。そしてインドの売春宿がある地域に現地のNGOと協力して、女性たちが産んだ子どもが通えるように幼稚園を2つ作り、毎年訪れているという。何が彼女をそこまで突き動かすのだろうか。大久保さんの本を読み、話してわかったことは、「からゆきさん=売春婦」という歴史が語られていく上で作られたレッテルや偏見への抵抗のようだ。そしてそのレッテルを地元民はタブー化することでしか自分たちを守ることができなかった。その背景を知らないまま、「からゆきさん」を悲しい過去の出来事として扱うだけでは私たちは本質を見出せないだろう。